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キングダム蒙武(もうぶ)は呂不韋の部下?四柱最強だが忠誠はない?

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キングダム第97話で初登場した呂氏四柱最強の武!

大将軍『蒙武(もうぶ)』!

遂に姿を現した呂不韋と、その部下として政の前に現れた、昌平君・蔡沢・李斯・蒙武の呂氏四柱。

その中でも、大柄な体躯とそれに見合う大きな態度や物言いの蒙武には、圧倒されるような強さを感じますね!

蒙武は、己こそが『中華最強』であると常に豪語しています。

初対面の政に向かって『六大将軍』の復活を上奏し、「秦国の武の威厳!」「どうかこの場ですぐ俺に戦の自由を持つ大将軍の称号を!」と訴えるほどの自信です。

また、蔡沢に「謀反の恐れ」を指摘されると「俺の生き様に謀反などと下らぬものはない」と一蹴するなど、一本筋の通った男でもあります。

今回は「キングダム蒙武(もうぶ)は呂不韋の部下?四柱最強だが忠誠はない?」と題して、蒙武の言動を掘り下げていきたいと思います。

「蒙武は呂不韋の部下なのか?」

「呂不韋に対する忠誠心はあるのか?」

など、原作に描かれていない蒙武の内情について考察します!

お互いに信頼していそうな昌平君との関係も気になるところ・・・。

それでは、呂氏四柱最強の大将軍「蒙武」について見ていきましょう!

 

キングダム蒙武(もうぶ)は呂不韋の部下?

秦国の大王である政を前にしても怯まず堂々と物を言う蒙武は、あまり人の部下になりそうなイメージではないですよね。

なぜ呂不韋の呂氏四柱におさまっていたのでしょうか?

それは蒙武の目指すところが関係しているのかもしれません。

蒙武は『中華最強』を自負していて、その証明の機会を求めています。

そのためには、戦で実績を重ねて秦国での地位を高めていかなくてはなりません。

まず『秦国最強の武将』になることが第一歩です!

政がまだ幼かった当時、事実上政治の実権を握っていたのは呂不韋でした。

蒙武にとっては、呂不韋の部下になり認められることが出世への近道だったと考えられます。

「もしも蒙武が信のように天下の大将軍を目指していたとしたら?」

そのために、呂不韋の下で呂氏四柱の一人になっていたことは十分考えられます。

呂不韋の失脚後、あっさりと政側に転じたことも頷けますよね。

原作ではどのように描写されているのか紹介します!

 

政と敵対関係にあるような描写は?

蒙武が政に対して敵対心をむき出しにした描写は・・・「特にない」です!

初対面での横柄に見える言動は、単に蒙武の個性であり敵意からではありません。

迫力のある外見と堂々とした物言いに凄みを感じますが、態度としては至って普通です。

それどころか、政のことを政(まつりごと)を行う王と認めて、「秦の『六大将軍』を復活させてほしい」と上奏までしていますよね。

蒙武にとっては『己の目指すもの』のためなら上に立つ者は誰でも構わないのかもしれません。

己の『武の証明』のためなら、誰の下でも大錘を揮うでしょう!

それが蒙武です!!

 

呂不韋から政側に転じる描写もない?

こちらも原作を確認してみましたが・・・「特にありません」でした!

昌平君や李斯は政側に転じるところがはっきりと描かれているんですが、蒙武に関して全く描写されていません!

何事もなかったかのように、秦国の将軍として再登場します。

呂氏四柱だった頃は呂不韋の部下のように見えていましたが、蒙武にとってはあくまでも『秦国の武人』であり、呂不韋に忠誠を誓う部下ではなかったということですね。

それに蒙武は『中華最強』という一つの目的に向かって進んでいるだけなので、それ以外のことは全て蒙武にとって小さなことなのでしょう。

昌平君とは長い付き合いのようなので、昌平君の判断についていった結果が政側へ転じることとなったとも考えられます。

どちらにせよ「武の証明以外 一切の興味無し!!」ですね。

以上、「キングダム蒙武(もうぶ)は呂不韋の部下?」を紹介しました。

次は、蒙武に忠義はあるのか?という点について掘り下げていきます!

 

キングダム蒙武(もうぶ)は四柱最強でも忠誠はない?


呂氏四柱最強の大将軍とされる蒙武ですが、呂不韋への忠誠はあるんでしょうか。

原作に呂不韋への忠誠を感じられる場面は・・・「特に見当たらない」です!!

呂不韋としても蒙武の言動は野放しといった風で、従えようとはしていないのかもしれません。

蒙武としては、実質の権力者である呂不韋の下で力を揮うことが目的への近道だから仕えていて、呂不韋もそれを理解したうえで呂氏四柱のために蒙武の武力が欲しいだけのように見えます。

呂不韋への忠誠描写がないという前に、呂不韋が忠誠を求める場面がないという方が正しいです。

つまり「呂不韋は蒙武に忠誠を求めていない!」ということでしょうか。

掘り下げて考察してみましょう!

 

目標を達成のために呂不韋に従った?

蒙武は初登場の時から、『中華最強』であることに強いこだわりを見せています!

政に『六大将軍』の復活を上奏した時も「この蒙武こそ中華最強!!その証明以外 一切の興味無し!!」と、その場をビリつかせています。

中華最強を証明するためには秦国一の大将軍になるところからと考えると、実質政権を握っていた呂不韋の下で武力を認められることが近道ですよね。

呂不韋も蒙武の目的を知っていて、うまく呂氏四柱におさめたと考えられます。

そういうことでもない限り、蒙武のような力押しのタイプを部下のように扱うのは難しいでしょう。

つまり、「目標を達成するために呂不韋に従っていた」可能性が高いです!

 

忠義よりも中華最強のために仕えていた?

目指すところが『中華最強』となると、他国の将軍とも戦い勝ち続けなければいけません。

ということは、戦で勝利を重ねていく必要があります。

つまり、政(まつりごと)や戦を操る丞相である呂不韋に仕えていれば、将軍として戦に出ることができ、実績を重ねることが可能なんです!

そう考えるとやはり蒙武が呂不韋の下にいた理由は『中華最強』のためなんでしょうね。

ただ、呂不韋自身もそれは理解したうえでうまく利用していたように見えます。

お互いに都合の良い関係だったのではないでしょうか!

呂不韋は野放しにしていますが、昌平君に止められて蒙武が身を引くという場面はあります!

気になりますね!

以上、「キングダム蒙武(もうぶ)は四柱最強でも忠誠はない?」を紹介しました。

あの王騎をして「秦国の顔になるべき一人」と言わしめた『蒙武』について、行動理念や人間性について、考察をまとめます!

 

まとめ

ご覧いただき、ありがとうございました。

「キングダム蒙武(もうぶ)は呂不韋の部下?四柱最強だが忠誠はない?」を楽しんでいただけたでしょうか?

この記事では、蒙武は呂不韋の部下だったのか?という疑問と、呂氏四柱時代の忠誠心の有無などを紹介しました!

初登場時の蒙武は、己の武の証明以外に興味を示さない『猪突猛進』といった印象の強い力押しの武将でしたが、王騎の死後から冷静さが加わり、イメージが一変しました。

蒙恬・蒙毅といった息子達の登場で厳しい父親の顔が見えるようになりましたし、蒙驁の最期に立ち会わず、戦場で「親父殿・・・」と杯を傾けるシーンでは感動させられましたよね。

ただ、胸中は変わらず『中華最強』を自負していて、目指すところはその証明。

そしてその奥には、昌平君の存在が見える場面が多々あります。

「秦国最強の猛将『蒙武』の背負うものとは一体何なのか?」

そのあたりの答えが、まだ語られていない蒙武の行動理念を明らかにするもののような気がします。

「背負うもの」として脳裏をよぎった、若き日の昌平君と夢を語らうような目をした二人の場面・・・まるで信と漂のようでしたね!

『秦の六将』第一将となった蒙武の、これからの活躍に注目していきましょう!!